昨日は「中国菜房くどうさん」で晩ご飯

昨晩は友人と「中国菜房くどうさん」で会食しました。

今回のメニューも工藤さんに甘えて、皆様の無茶ぶりオリジナルメニューです。

最近かなりお気に入りの湯餃(上段左から2番目)。スープに餃子が浮かべられている一品です。

中国料理の味のバリエーションや、素材のバリエーションには本当に驚きがあります。そこに、工藤さんの確かな技術が落とし込まれて完璧な逸品になります。

まだまだコロナの影響で外食産業、関連業者は厳しい日が続いています。

一日でも、早く収束しお店が活気を取り戻せることを願います。

工藤さん、今回もご無理言いました。メンバーかなり喜んでいました。ありがとうございました。

常に前を向く

先日トラウマについて書いたので重い内容になりました。

そのせいか、ブログを読んだ方から心配して頂くことが多いのです。ただ、ありがたいのですが、僕は心配して頂くために書いているわけではありません。

自己開示して前を向いて歩いて行くためです。そして、すでに僕は前を向いています。

僕はポジティブシンキングしか出来ない人間。そんなところに心を留めておきたくない。

何よりも知り合って長く触れあってきた相手の子に好意に想っているのに不快感を与えたことへの懺悔の念はあります。

ただ、フラれた事自体はモテない男の宿命。フラれ慣れているので大した問題ではありません(笑)。

何せ彼女の存在がなければ、自分の心の状態が分からなかった訳です。

当時、離婚後8ヶ月目だったので、早い段階で自分の心の状態が分かって良かったと思います。

それでも、いつフラッシュバックがあるかは分からないので、そのために何をすべきなのか、色々と考えた結果、何よりも経験者に話を聞くのが一番。そこから、始めました。

日本の離婚率は35.5%、1位の高知県に至っては46.15%という数字。花粉症患者が38%なので、本当に珍しくないということが実感出来ます。

当店のお客さんの中でも、離婚歴のある方が結構おられて、かつ再婚されている方も多数いらっしゃいます。

これは離婚歴のある人でないとなかなか聞けないこと。始めに僕はこうでしたと自己開示し、その方が離婚した時の経緯、気持ちを聞いてみると、パートナーへの良い想い、悪い想い、不信感、恐怖心、自己嫌悪、自信喪失・・・。やっぱりあるある。

僕の傷は一年前の離婚当時の喪失感と激しい自己嫌悪。心をマンリキで絞り上げられるような気持ちだった。おそらく、それが潜在意識に埋め込まれているのでしょう。

「あんな想いは絶対にしたくない」その傷が女性へのアプローチにブレーキをかけているのでしょう。

また、そのブレーキをかけている事実に自分のメンタルが弱いと思い、ショックでした。

何せ頭では「よし!前を向いて行こう」と思っているのですから。それも含めて、経験者の方に聞いてみると、

「拓郎さんが、特別メンタルが弱いというわけでは無いよ。道を歩いていて、何かにつまずきコケたら自然と心は”気を付けよう”となるでしょ。それは結婚も一緒。失敗してつまずいたら、次はコケたくないとブレーキをかけるものだよ。僕もそうだったから。」

これを聞いてすぅーっと、心が軽くなるのを感じました。やっぱり聞いて良かった。本当に経験者の話というのは実体験からくる言葉なので、説得力が違います。

それから暗い話ばかりしても楽しくないので「離婚あるある」で盛り上り、

「家に帰って玄関開けた瞬間、ため息出るよね~(笑)」

「旅行、行かなくなるよね~(笑)」とか、結構笑えるものですよ。これも離婚経験者の特権です(笑)←当たり前ですが、無いなら無い方が良い、それが一番です。

その方は現在再婚されて幸せな生活を送っています。そこで、トラウマを抱えていても、再婚まで至った経緯なども聞きました。「先にパートナーになって欲しい女性に告げること、向き合ってもらうことが重要」、「前の結婚より慎重にはなったけど、1つ1つ安心感を得て不安が薄れ、信頼出きる存在となっていくよ。」と教えてもらいました。

今の自分を見つめ、弱くなっていることも認め、しっかり相手に伝えていくこと。

冒頭でも書きましたが、ご心配おかけしていますが、僕は前を向いています。

心の状態が分かったとき、すぐに心理学の勉強をするようにしました。かつて、大学の経営学部時代に行動心理学を学んだ事がきっかけで、色々な心理学を雑学として勉強したことがあって、その優位性を知っています。

その成果もあって、確信ではないですが、ここ数ヵ月間で1つ1つですが、セルフコントロールをして穴を埋めていけている自信が付いてきました。

あとは良いご縁があればと切に願います。

ご心配頂きありがとうございます。

明日から営業開始

当店のお盆休みが明け営業開始です。

ただ、23日まで営業時間は10:30~17:00とさせて頂き、店内飲食は無しで営業いたします。

豆売りのみで営業しますので、ご了承ください。

昨日はアリエッタさんで会食

昨晩は西条のイタリアン「オステリア アリエッタ」さんで友人と会食でした。

オーナーシェフの山本さんが手掛ける料理は細かく手が入れられていて、火入れ加減も絶品で、素材の味が最大限に引き出されています。

山本さんは常に料理に対して真摯に向き合っている方で、とてもマニアックな方です。貪欲なまでの向上心は僕も職人の端くれとして見習うばかりです。

また、奥様の由佳子さんの接客もほっこりしていてお店がリラックス空間になります。

来月も行きたいですね。

離婚の後遺症

離婚後立ち直るまでに時間が掛かりましたが、精神も安定してきて異変があった身体も戻りました。

ある程度の時間を経て自然と涌き出てきた感情が「パートナーが居れば」でした。

これは元妻に感謝しなければいけないことですが、彼女は僕のガサツな言動にイラっとしたことは多かったでしょうが、それでも怒鳴り合って喧嘩したということもなく、結婚生活は過ごすことが出来ました。

僕は、せっかちでガサツだし人格者でもないのですが、彼女と過ごした日々の中で腹が立って仕方がないということがありませんでした。

当然ですが、違う生き物が夫婦として過ごしているので、時に意見が違って微妙な雰囲気になったことは数回ありますが、僕は彼女が普段から献身的に僕の身の周りのことを完璧にしてくれていたので、それを思うと怒るなんて感情は1つも出なかったです。

そして、その穏便に過ごせていた結婚生活はとても心地が良かったです。

その記憶があって「結婚は良いもの」と良い思いのまま離婚後も思えることが出来ました。

自分でも不思議なくらい離婚後わりとスムーズに気持ちは切り替えられました。

なので、周りの人たちにも「良い方が居たら紹介してください」と伝えるようになりました。

そして、数ヶ月前にその機会がありました。

相手の子は大分前から知っていて、僕が4年前に結婚したことも1年前に離婚したことも知っています。

彼女とは色々な話をする機会があって、彼女が人生の岐路に立っている時に励ます言葉を掛けていたりして、それもあって慕ってくれていたのだと思います。

元妻とお付き合いしている頃から知っていますが、その時は異性として特別な感情ではなく、純粋に人として良い子だなと思っていました。

彼女は人を思いやれる優しさを持っていたり、能力が高いけどそれを一つも思わせない謙虚さがあったり、そして、何よりも凄くストイックで頑張れて、頑張り過ぎてしんどくなるような性格なので、とても気になる子でした。

その彼女が数か月前お店に来てくれて、その時も盛り上がり、かなりの時間話し込んでいて「やっぱり素敵な子だな」と思って、気軽にご飯でも一緒に食べに行こうと思っていました。

それが「ご飯食べに行こうか」と言おうと思った瞬間、僕の頭に過った気持ちが「怖い」でした。

その次に「もし、パートナーになってもこの子も僕を置いて出ていくのだろうか」「捨てられてしまう」と一瞬の間に女性に対しての不信感や恐怖心というネガティブな感情が押し寄せました。

それから、まともに会話も出来なくなってしまって、変な感じになった僕に拗ねて帰ってしまいました。

僕は自分でも何が起こっているか分からず、彼女が帰ったあとに焦ってしまいました。

そして、弱気になってしまった自分が受け入れられず「なんでだろう」「そんなはずはない」と思い、定休日にまずはお店の接客ではない「女性と話そう」と銀行の受付の女の子だったり、コンビニの店員さん、卸先のカフェの女の子だったり、こちらから声を掛けて話をしてみました。

結果、当たり前に話すことが出来るのです。こんなことを書くと頭がおかしい人だと思われますが、僕としては1つ1つ確認しないと不安で仕方がなかったのです。

ただ、頭の中はパニックのままでした。

そして、冷静ではいられなかった精神状態になってしまった僕は終いには彼女に不快感を抱かせる行動を取ってしまいました。

大事にしてあげたい子を自らの行動で不快感を与え、今までの関係を潰してしまいました。不快な思いをさせてしまった事にどれだけ謝っても謝りきれません。                                             

でも、これも長い間「間違っていること」に気づきませんでした。

それから、また少し時間が経って冷静に自分の心の状態をしっかり捉えないといけないと思い、ネット検索してみると「バツイチ男性の持つトラウマ」というのが分かりました。

そこでのチェック項目にかなり当てはまることばかりでした。

いわば、「バツイチ男性あるある」だったわけです。

ある時女性と過ごしていると、辛い経験がフラッシュバックし、不信感や恐怖心に囚われる。まさに、その通りでした。

これは、スポーツの世界では当たり前に言われている「イップス」に近いものだと思いました。

野球の送球で練習ならコントロールされた球を投げられるのに、プレッシャーの掛かる場面では失敗した経験が頭を過り手がすくんで悪送球を投げる。

意識しない女性なら普通に話しているのに、意識した女性になると不信感や恐怖心が甦る。

やっと時間を経て日常を取り戻せたと思っていて、前向きにパートナーを探している事がきっかけでトラウマを抱えてしまった自分の心の現状を知り、さらに悲しくなりました。

一応、自分の心の中身が知ることが出来た今、どう向きあっていくかを考えています。

こんな、傷を持った人間を理解してくれるパートナーは現れるのか、自分は克服出来るのか分かりませんが模索しています。

ただ、前を向いて歩いていくしかない。そう、言い聞かせて信じるのみです。

ご報告

ごくごくプライベートなことを長々と書くので、興味の無い方はスルーしてください。

昨年の7月末。僕は離婚しました。わずか3年の結婚生活でした。

この事をブログで書くのは、お客様からもお祝いを頂き、本来なら一件ずつ、ご報告する義務があると思いながらも難しいので、ここに記しご報告させて頂くことにしました。

そして、これから前を向いて進むためにも全てを晒しておきたいと思いました。

離婚理由からいうと、僕が彼女を100%理解してあげられなかったことです。

僕はコミュニケーション好きで話をするのが好きな性格です。特にパートナーには隠し事など一切無く、思ったことや感じたこと全てを伝えておきたいと思う人間です。

ポジティブな言葉は大きく表現し、ネガティブな言葉を伝えなければいけない時は、あくまで冷静に感情を抑えて。と心掛けていました。

「言わなくても伝わるだろう」と男性の多くにみられる特有の考えは僕は持っていません。

そうでなければ、生活していくうえですれ違いが生じると考えています。

ですから、結婚生活のなかで早朝から仕事で営業時間終わりで、一旦、家に帰りご飯を食べて、お店にまた作業をしに帰る時間までの約2時間が夫婦で過ごせる時間でした。

その約2時間の間、ゆっくり夫婦の会話は続いていました。それは3年目の離婚する年まで続いていました。

1日の起こったこと、感じたこと、テレビを見ていて思ったことや悩み事。

全てを話していたつもりでした。

ただ、これも僕の独りよがり。彼女からすると「つもり」だったみたいです。

彼女から離婚を告げられた時、一番大きな理由であった、夫婦仲ではない外的要因がありましたが、いくつか挙げられた夫婦間の原因は直せることであり、全ては直せないでも改善していけるものでした。

僕は離婚を告げられた時点では、結婚生活を続ける前提で、これからの未来をしっかり見据えて話し合いをしていきました。

ただ、彼女は僕に離婚を告げた時点で相談ではなく、決断していて離婚届を書いていたそうです。これは離婚決定後にゆっくり話したときに教えてくれました。

僕は彼女との結婚生活で不満に思うところはなく、感謝するところの方が多かったです。

家事は任せっきりでしたが、完璧にしてくれました。だからこそ、仕事に没頭出来て結婚前よりお店の売上は上げられました。それは、彼女がいてくれたからこそ頑張れた結果です。

また、彼女のご両親が僕のことを「拓ちゃん」と言ってくれて、本当に我が子のように可愛がってくれて、僕も大好きなお父ちゃんとお母ちゃんだったので、離婚が決まった時も「ちゃんと僕からも伝えさせてね」と彼女に頼み、彼女の希望で電話ではなく、メールになりましたが「ごめん」と「ありがとう」の内容で送りました。すごく可愛がってもらっていただけに本当に辛かった。

僕の想いは3年ではありましたが、年を経るごとに感謝の気持ちが増え彼女のことを「もっと大切にしたい」と膨らんでいきました。

ただ、彼女は色々なプレッシャーがあったのでしょう。疲弊してしまい、僕への想いは薄れていったのだと思います。想いは同じではなかったということです。

想いが掛け離れていき、離婚に至った。

本当に気付いてあげられませんでした。

離婚後、僕を待っていたのは、ぽっかりではなく、えぐり取られたような喪失感と激しい自己嫌悪でした。

とにかく「大事にしてあげられなかった自分」を攻め続けました。

「あの時声を掛けてあげたら」「もっと聞いてあげられたら」「あそこでああいうことあったな」と、つらつらと溢れ出だす後悔の念、そして、重箱の隅をつつく様に自分を責め過ぎた結果、苦しくなり「彼女にも理由があった」と思い自己肯定しようとして、彼女の悪い点をあげていくと、それを考えてしまった自分の性格の悪さに、さらに自己嫌悪という刃が僕の心を刺し続けました。

離婚後、1ヶ月は精神だけではなく、身体も異変が出て、腕全体に謎の赤い発疹が吹き出、脈の乱れ、不眠、血圧も高騰、正直自殺なんかしなくても死ねる気がしました。

本当に心が掻きむしられて、ボロボロになり生きる意味や仕事をする意味が分からなくなりました。

ただこの時、本当に周りのお友達に助けられました。「日本料理 佐々木」さんの佐々木家には「おうちにご飯食べに来たら」と何度も招いてくれたり、「らぅ麺純」さんの永井夫妻には差し入れで弁当を買ってきてくれたり、また、M夫妻やAちゃんも僕が塞ぎこまないように「ご飯食べに行こう」と声を掛けてもらいました。

皆のサポートがあり、何とかどん底を乗り越えて、仕事も忙しい時期を迎えていたので、悲しみにも蓋がされて、彼女に手伝ってもらっていたお店の仕事も僕が背負わなければいけないという背中を蹴っ飛ばされるような危機感で走っていけました。

そして、いざ年末の繁忙期を乗り越え、12月の売り上げを見ると過去最高売り上げをマークしていました。

僕は昔から、ピンチを迎えるとかなり能力を発揮するタイプでその売り上げの結果を見た時、乗り切った安堵感と彼女が出ていったあとに最高売り上げをマークした皮肉さに喜びよりも少し凹んでしまいました。

ある程度、時が経ち少しずつやる気が出て、1年経っても全ては埋まることの無いえぐられた心の深い穴も少しずつ浅くなってきました。

今でこそ、離婚を自虐的なネタに出来たり、また、僕の離婚を知っている常連さんにも愛のあるイジりをされても笑えるようになりました。

彼女への想いがあるわけではありませんが、まだ拭い切れない喪失感はあり、切なく感じる日があるものの、何とか日常を取り戻し今を生きています。

長々と書き連ねてしまいましたが、ご報告させていただきました。