ごくごくプライベートなことを長々と書くので、興味の無い方はスルーしてください。
昨年の7月末。僕は離婚しました。わずか3年の結婚生活でした。
この事をブログで書くのは、お客様からもお祝いを頂き、本来なら一件ずつ、ご報告する義務があると思いながらも難しいので、ここに記しご報告させて頂くことにしました。
そして、これから前を向いて進むためにも全てを晒しておきたいと思いました。
離婚理由からいうと、僕が彼女を100%理解してあげられなかったことです。
僕はコミュニケーション好きで話をするのが好きな性格です。特にパートナーには隠し事など一切無く、思ったことや感じたこと全てを伝えておきたいと思う人間です。
ポジティブな言葉は大きく表現し、ネガティブな言葉を伝えなければいけない時は、あくまで冷静に感情を抑えて。と心掛けていました。
「言わなくても伝わるだろう」と男性の多くにみられる特有の考えは僕は持っていません。
そうでなければ、生活していくうえですれ違いが生じると考えています。
ですから、結婚生活のなかで早朝から仕事で営業時間終わりで、一旦、家に帰りご飯を食べて、お店にまた作業をしに帰る時間までの約2時間が夫婦で過ごせる時間でした。
その約2時間の間、ゆっくり夫婦の会話は続いていました。それは3年目の離婚する年まで続いていました。
1日の起こったこと、感じたこと、テレビを見ていて思ったことや悩み事。
全てを話していたつもりでした。
ただ、これも僕の独りよがり。彼女からすると「つもり」だったみたいです。
彼女から離婚を告げられた時、一番大きな理由であった、夫婦仲ではない外的要因がありましたが、いくつか挙げられた夫婦間の原因は直せることであり、全ては直せないでも改善していけるものでした。
僕は離婚を告げられた時点では、結婚生活を続ける前提で、これからの未来をしっかり見据えて話し合いをしていきました。
ただ、彼女は僕に離婚を告げた時点で相談ではなく、決断していて離婚届を書いていたそうです。これは離婚決定後にゆっくり話したときに教えてくれました。
僕は彼女との結婚生活で不満に思うところはなく、感謝するところの方が多かったです。
家事は任せっきりでしたが、完璧にしてくれました。だからこそ、仕事に没頭出来て結婚前よりお店の売上は上げられました。それは、彼女がいてくれたからこそ頑張れた結果です。
また、彼女のご両親が僕のことを「拓ちゃん」と言ってくれて、本当に我が子のように可愛がってくれて、僕も大好きなお父ちゃんとお母ちゃんだったので、離婚が決まった時も「ちゃんと僕からも伝えさせてね」と彼女に頼み、彼女の希望で電話ではなく、メールになりましたが「ごめん」と「ありがとう」の内容で送りました。すごく可愛がってもらっていただけに本当に辛かった。
僕の想いは3年ではありましたが、年を経るごとに感謝の気持ちが増え彼女のことを「もっと大切にしたい」と膨らんでいきました。
ただ、彼女は色々なプレッシャーがあったのでしょう。疲弊してしまい、僕への想いは薄れていったのだと思います。想いは同じではなかったということです。
想いが掛け離れていき、離婚に至った。
本当に気付いてあげられませんでした。
離婚後、僕を待っていたのは、ぽっかりではなく、えぐり取られたような喪失感と激しい自己嫌悪でした。
とにかく「大事にしてあげられなかった自分」を攻め続けました。
「あの時声を掛けてあげたら」「もっと聞いてあげられたら」「あそこでああいうことあったな」と、つらつらと溢れ出だす後悔の念、そして、重箱の隅をつつく様に自分を責め過ぎた結果、苦しくなり「彼女にも理由があった」と思い自己肯定しようとして、彼女の悪い点をあげていくと、それを考えてしまった自分の性格の悪さに、さらに自己嫌悪という刃が僕の心を刺し続けました。
離婚後、1ヶ月は精神だけではなく、身体も異変が出て、腕全体に謎の赤い発疹が吹き出、脈の乱れ、不眠、血圧も高騰、正直自殺なんかしなくても死ねる気がしました。
本当に心が掻きむしられて、ボロボロになり生きる意味や仕事をする意味が分からなくなりました。
ただこの時、本当に周りのお友達に助けられました。「日本料理 佐々木」さんの佐々木家には「おうちにご飯食べに来たら」と何度も招いてくれたり、「らぅ麺純」さんの永井夫妻には差し入れで弁当を買ってきてくれたり、また、M夫妻やAちゃんも僕が塞ぎこまないように「ご飯食べに行こう」と声を掛けてもらいました。
皆のサポートがあり、何とかどん底を乗り越えて、仕事も忙しい時期を迎えていたので、悲しみにも蓋がされて、彼女に手伝ってもらっていたお店の仕事も僕が背負わなければいけないという背中を蹴っ飛ばされるような危機感で走っていけました。
そして、いざ年末の繁忙期を乗り越え、12月の売り上げを見ると過去最高売り上げをマークしていました。
僕は昔から、ピンチを迎えるとかなり能力を発揮するタイプでその売り上げの結果を見た時、乗り切った安堵感と彼女が出ていったあとに最高売り上げをマークした皮肉さに喜びよりも少し凹んでしまいました。
ある程度、時が経ち少しずつやる気が出て、1年経っても全ては埋まることの無いえぐられた心の深い穴も少しずつ浅くなってきました。
今でこそ、離婚を自虐的なネタに出来たり、また、僕の離婚を知っている常連さんにも愛のあるイジりをされても笑えるようになりました。
彼女への想いがあるわけではありませんが、まだ拭い切れない喪失感はあり、切なく感じる日があるものの、何とか日常を取り戻し今を生きています。
長々と書き連ねてしまいましたが、ご報告させていただきました。