8月15日。終戦記念日です。
この日が来るといつも思い出す光景があります。
生まれ故郷の広島に帰郷していて祖父母と黙祷を捧げる光景です。8月6日の原爆投下の日も同じです。
祖父は長崎生まれで三菱重工の長崎造船所で船の設計士をしていました。そして広島製作所に転勤したのです。
第二次世界大戦が始まったものの祖父は肺に持病があったせいで徴兵されなかったといいます。そして8月6日エノラ・ゲイが広島に原爆投下したのです。
祖父母は爆心地付近にいたため被爆しました。爆心地の凄惨な状況はいつも詳細に祖父が語ってくれました。
そして祖父母は故郷である長崎に帰ることを決意したそうです。
ご存知の通り8月9日。長崎への原爆投下。
祖父母はとても珍しい二重被爆者となりました。
それでも奇跡的に生存し広島での生活を再開したのだそうです。
祖母は存命ですが、その祖父が亡くなって17年が経ちます。
生前祖父はいつも幼い僕を傍らに座らせ戦争の事を語ってくれました。幼くて祖父の話に興味が無かった僕ですがはっきりと憶えている言葉があります。
「戦争に行きたかった」「生きている事が惨めだった」と。
肺の持病のため戦争に参加出来なかった祖父は周りから白い目で見られ肩身が狭かったと言っていました。
戦地で亡くなられた方、残された方、敵対した国。この戦争によって誰が幸せになったのでしょうか?
僕には多くの悲しい話しか聞こえてきません。
唯一の被爆国となった日本。この事実を絶対に忘れてはいけません。
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